2018-01-16

『塔』制作日誌(4)

本サイトは1月31日(水)に閉鎖されます。

2018-01-15

無題(承前37)

とくに書くことはない。

2018-01-14

問う、答える、別れる

新しい料理をふるまう前に、テーブルの上にあるものを片付けねばならない。

2018-01-13

週一休載

本日の更新はお休みとなります。

2018-01-12

無題(承前36)

一週間が終わった。

2018-01-11

無題(承前35)

一月もだいぶ仕事が忙しくなってきた。業務のスケジュールもどんどん埋まってきていて、もう完全にあたらしい年、2018年だという感じがする。仕事を終えてから、昨日ポストに届いていた知己のK島さんからのおそい年賀状の返事を書く。——なにひとついいことのない新年ですが、人生においてなにかが得られるというあきらかな錯誤に陥ることなく、粛々と文章を書き、ひとつひとつ発表してゆくだけの日々です——。

ここしばらくどうも元気が出ないのだが、だからといって暇にしているわけにはいかない。やることは山ほどあるのであった。今日は原稿の校正の続きで編集部とのやりとり、職務、それから夜は非常用食料のイナバのタイカレー缶詰めがたくさんあったので、生トマトやすり下ろした果物を加えて適当なアジア風カレーをつくった。三回もおかわりした家族がいたので美味だったのだろうと思う。アジア「的」な料理は好きだ。食材が手に入れ難いのでどうしても「的」になってしまうが。

すでに日課となった子供の風呂入れの後、机に戻ってきてブログのエントリを書く。わたしがなにをしていようが、なにを書いていようが、なにに悩んでいようが、そんなことは読者とはなんの関係もなく、なんの興味も持てないことに違いない。そしてそれでいいのであって、第三者のしていることにそもそも興味など持てるはずがないのだ。その無関心の壁を越えるためになにが必要か、と考えた時、インターネットでは文字通りの意味で公衆の場で裸踊りをして客を呼び込もうとしている人々がいることを想起する。だが、人間は服をいっさい脱がなくとも裸になれる。そのために必要なものは、すべてのひとに最初から与えられており、それは少しも難しいことではない、ということを思っている。

ただし、やはりやる気は必要だ。わたしはいまやる気をうしなっている。そしてやる気というのは、自然に出てくるまで待つしかないのだった。

2018-01-10

無題(承前34)

とくに書くことはない。

2018-01-09

インターネットはただの道具

今日はあたたかく、大分春が近いことを感じる。娘も生まれてもうすぐ一歳になり、なにひとついいことのない日がつづく中、その顔をみているともう少し生きていてもいいかもということを思ってしまう。人間なんてのはその程度のしょうもない生き物なのだ。

書くことはたくさんあるだけではなく、これまで書いてきたものに一つずつ形を与えていかなければならない立場なのだが、tumblr や twitter そしてブログなどの「場」を削除するということには、それなりの心理的な痛みが伴う。単なるツール、と割り切れない思い入れがあるからだ。インターネットは、わたしにとっては単なる道具ではない。インターネットはわたしにとって単なる便利な道具ではない。そう思っているのは、わたしだけではないはずだ。わたしの世代にとって、インターネットがただの道具であったことなど、ただの一日だってあるはずがない。そこにあったもの、そこで体験したもの、そこで得たもの、それの代替物などこの世にあるはずがないのだ。

そういうことを思いながら、ブラウザの画面を眺めている。
場をすべてなくしても、生きてさえいれば書き続けられる。そう、自分に言い聞かせる。だがそれを信じることができるだろうか。

2018-01-08

無題(承前33)

とくに書くことはない。

2018-01-07

暇なのでブログを書いています

まだまだ寒い一月。