2014-01-03

ネトウヨは景気が回復すれば消滅しますか?

景気が回復しても、この失われた20年間で奪われた青春は帰ってきません。色々難しく考えすぎなのです。物事はもっとシンプルに考えるべきなのです。あなたのまわりを見て欲しい。ひとを傷つけるような言動をするひとはいったいどんなひとか。悪意というものは、別の意図的な悪意、あるいは非意図的な悪意によってしか作られないのです。ひとというのは、ひとにやられたことしか他者にできないのです。

奪われたひとの怒り、かなしみ、つらさは、憎悪となって外に放出されていきます。貧乏による家庭内不和があれば家族の怒りはたいてい弱い子どもに向き、日本全体が貧しくなった結果のひとつがこのネットの現状でもあります。そして二面性の強い偽善的な国民的気質もまた、その憎悪の増幅に一役買っています。それはたとえば「マスコミは嘘つきだ」という意見となってネットで増幅されています。しかし嘘つきなのはマスコミではなくこの社会そのものなのです。

だからそのやり場のない怒りはこれからも社会にぶつけられ続けます。ネットは便利で反撃もされにくいので傷ついた弱いひとたちには最適なはけ口です。ここでいう弱いひとには一定以上の知識があるのに組織で認められなかったり配偶者にあまり愛されていなかったりして鬱憤が溜まっていてコンプレックスからも脱却できない中高年も含まれるでしょう。かれらのようなひとが「どこにも居場所がない」と検索して私のブログを読んだり、私に題名のような質問をメールで送ってきたりするのです。

自分を呪っている間、憎しみは消えることがありません。たとえ景気が回復して、これから世にでる若者たちが幸せになったとしたら、かれらはそれを妬み、嫉み、そのやり場のない怒りをさらに弱いものに向け続けるでしょう。具体的には老人、女性、子供、そしてマイノリティである外国人に向かっていくでしょう。現在すでにそうなっています。終わりのない悪循環であり一種の生き地獄です。私たちはこうした膨張した憎しみと向きあっていく、あるいは同じマンションでかれらと同居しなければいけません。

もっと、シンプルに考えるべきです。不遇な環境が、ひとを怪物にするのです。想像力のない、ひとのこころの痛みがわからないモンスターにするのです。もちろん金をうなるほどもっていてもひとは怪物になりえます。それはバブル時代(あるいは大日本帝国時代)の日本のことを知っているひとにはあまりにも自明のことではないでしょうか。しかし、いま私たちが直面しているのは、端的にいって<傷ついたひとびと>の絶望に満ちた怒りなのです。それを嘲笑ってはならない。シンプルに、人間らしく考えなければいけません。

モンスター化しつつある人間にはふたつの対処法があります。ひとつはさらなる暴力によってかれを無力化すること。それには権力や立法による暴力も含まれるでしょう。しかし私はひとりの人間として、傷ついた個人に対する対処を暴力によるものにしたくない。傷ついたひとがなによりも必要としているのは、その傷の在処を理解してもらうことです。もちろん他者にそれを理解することなどできませんが、それを試みてくれるひとがいるということ、その事実を知ることがひとの<こころ>を助けるのです。それがもうひとつの対処法です。

もちろん、私はそれがいかに困難なことか、たったひとりの人間に対してすら、いかに難しいことかよく知っています。そしてこの疲弊した後進国において、自分ではどうにもならない外的要因によって落ちこぼれ、排除され、馬鹿にされ、ネットで「どこにも居場所がない」と検索するほかないひとたちが、たとえば100万人単位で存在していたとして、かれらに対してほとんど有効な解などないだろうこともわかります。しかし、理解しようとすることはできる。私たちは、そうしたことからはじめなければならないのではないでしょうか。悪意の連鎖を止めねばなりません。

この悪循環を断ち切る一歩には、傷ついたひとを理解する試みが必要となります。ネットで毎日叩かれている負け犬、不幸なひと、社会からはみ出したひと、挫折したひと、頭がおかしいと思われているひと、こういうひとたちを理解しようと試みることが必要です。もし自分の生活があまりに苦しくて、どうしても石を投げつけたければ、目を閉じて見ないふりをする優しさが必要ではないですか。そして自分に問うのです。このひとが、自分になにか悪いことをしただろうか、と。

私がこういうことを書かなければならなくなったのは、私のブログに検索でやってくるひとびとのキーワードがあまりにも悲惨だからです。それも結構な数のひとがいる。なぜ、たとえばTwitterでそのような自分の悩みを語れないのでしょう? なぜFacebookで、友達にそういう話ができないのでしょう? 答は簡単でその不幸をすぐにおもしろがって晒し上げるひとたちがいるからです。こういうシステムに頼ることをやめなければならない。ほんとうに、ブログなど読まずにネットから離れろといいたいぐらいです。

傷ついているなら、傷ついたと言えばいい。問題は自分が傷ついていることすら知らないひとたちがいるということです。まず自覚してほしい。自分の悪意が何によってもたらされたのか。どうすればその苦しみが癒されるのか。あなたの問題を誰かの悪意にすり替えてはならない。悪意の根本を殺さねば自分の人生を生きることなどできないのです。スーツを着た偉いひとびとが言っていることは忘れてください。「意識の高い」かっこいいひとびとが言っていることも忘れてください。ネットにはあなたの傷を癒してくれるものは何もありません。ネットにはあなたを助けてくれるものは何もありません。ネットにはあなたを救ってくれるものは何一つありません。

矛盾しています。そう語る私はまたネットによって救われたのでした。いや厳密にいうと書くことを通して自分が生きる意味を見出したのです。それはネットがなければ成し得なかった。あなたもそんなにネットが好きなのですか。ネットを愛しているのですか。ネットがなければ生きていけないのですか。それでは私のブログを読みなさい。誰もが黙っていること誰もが知っていながらおためごかしでごまかしていることを私は書きましょう。そのためにすべての社会的地位を捨て金銭をドブに捨てる覚悟で書きましょう。私は過去現在未来の読者のための奴隷でありあなたたちのどこにも居場所がないすべてのかなしみといかりを代弁して書きましょう。私が何者か、私が誰か。料理と性交だけが趣味の偉そうな1975年生まれ、バブルで誇りを失ったすべての負け犬たる日本のロスト・ジェネレーションの代弁者、さようなら、さようなら!